ヒンメル6周年、職人15年目の歴史 その1

アットホームなパン屋を夫婦で経営したい!それを考えたのは27歳になってから。


多くのパン職人がこの業界に入った理由を「パンが好きだから」と答えるところ、私の志した理由は邪道?と思ったこともありましたが、これが事実なのでしょうがないですね。パンは好きでしたが、どちらかといえばお米を食べることが多く、食事に行って「パンにしますか?それともライスで?」の質問には100%「ライス!」と答えてましたから(笑)
ではどうやったら夫婦でパン屋を経営できるのか。答えは簡単なところにありました。今働いている会社勤めを辞め、パンの職人の道に進むこと。経験を重ねればパン屋を持てる可能性ができる。そう考え始めたら収まらずすぐに上司へ相談。案の定厳しい世界だと反対されたが、安定こそ自分にとっては「悪」だと信じ突っぱね、最後は応援してもらい円満に退社。職人の道に足を踏み入れました。因みにその辞めた会社には感謝してもしきれないほどお世話になっていて、今も毎日パンを卸しています。


その後は埼玉のパン屋にお世話になりましたが、人材不足も重なって過酷な労働でした。1日約16時間、週一の休みだが店長と仕込みを交代で出勤するので、月に休みが2、3日程度。でも不思議と体も頭も動くし、辛いから逃げ出そうとは一度も考えもしなかった。3年目に入ったころ、自分のスキルアップのためドイツに行きたいと話した時、長く無視され厳しい環境で働いた時期もありました。でも自分に期待をしてくれていたことを分かっていましたが、こうと決めたら進んでしまう性格上、後戻りはできずドイツへ旅立ったのは30歳の時。


その決断には賛否両論。家族や友人から賛成してくれる人、反対する人。「信じられない」とまで言われ離れていった人もいました。「俺たちの夢なのになぁ」と。口でどんなに説明をしても理解してくれないのであれば、あとは形にして証明するしか方法は残っていないと。
確かに仕事も決めず、アパートも決めず、殆ど喋れずでは、当の本人も相談されたら反対するかも(笑)でも生きる道はこれしかないという強い信念だけはあったので、二人とも不思議と不安がなかったんですよね。どうにかなると。


ドイツでの生活や仕事については後日お話します。

写真は27歳の時。忙しくて写真なんて撮っている暇もなかったので、仕事風景はこれしかない貴重な1枚。